PS3『デモンズ・ソウル』売り切れ続出!だそう

Demon's Souls(デモンズソウル)
Demon's Souls(デモンズソウル)

久々に制作段階からお手伝いさせてもらったSCEフロム・ソフトウェアがタッグを組んだPS3のゲーム『デモンズ・ソウル』が、先日発売になったんですが上記アマゾンもだし、発売早々売り切れ店続出で一時的に入手困難な状態になっているようです。
このご時世でお店も大量に発注してとにかく売りさばくっていうような体制じゃないんだとは思いますが、自分の関わった作品が「どこにも売ってね〜!」さらに「やばい、これは睡眠不足になる!」というような好評を得るのはともかく嬉しいですね。ちらっと2ちゃんのスレなどものぞいてみたら、ものすごい勢いで進行してますね。先日サンプルをプロデューサーに送ってもらったんだけど時間がなくてまだ全然プレイできてないので、来週どっかで遊べるようにしよう。
このゲームは最近主流の美麗ムービーをとにかく見せまくって映画みたいな感覚で半強制的にプレイヤーに物語を体験させるというようなつくりになっていなくて、かなり遊び手側の自由度が高くてしかも「マゾゲー」と呼ばれるように難易度も高い。しかし、一方で設定だったりキャラ作りにはこだわっていて、世界観にあわせて古い西欧の感じをだしたいというリクエストもあって、キャラクターが喋る部分を全部英語、それもスコティッシュとか古めかしい響きの英語とかをあえて入れていたりするんですね。
僕らは、そのシナリオの英訳とロンドンでの役者の手配からボイス録音までを全部担当したのです。演劇も映画も、かなり層があついロンドンの役者さんたちはハリウッドのセレブたちのように知られているわけでなくても、みんなすごいうまいんですよね。なかなかそういう経験がしょっちゅうできるわけでもないけど(そもそもイギリスでやりたいというニーズがあまりないからね、残念ながら)、また機会があればぜひやりたいタイプの仕事です。ゲームに限らず、今後も最初から世界マーケットに出て行くことを目指して、英語ベースで作品をつくるというのはどんどん増えていくだろうけども、アイデアや内容が素晴らしければ少しの努力でそれが何倍何十倍ものひとに同時に受け入れられるものになるかもしれないわけで、そういうトライの一助になれればいいなと思います。

“日本のアニメが売れない”は本当か?

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0901/28/news115.html
上記は先日のITメディアの記事で、今もトップを争うアクセスを集めているもの。こういうセンセーショナルな内容は皆興味があるのだろうが、「テレビ東京傘下のアニメ専門チャンネルエー・ティー・エックスAT-X)取締役」の岩田氏が講演したという内容を無検証にたれ流しただけと見られるこの記事は、ちょっと眉唾もんであると感じる。

大きくわけて
1. 市場の飽和
2. 世界的な不況・経済状況の影響(プラス、円高による利益の減少)
3. 動画共有サイトの違法配信
という理由により、もう日本のアニメは海外では売れない状況になっているという。

さらに国内でも06年をピークに売上高が縮小しはじめていて、地上波のビジネスモデルが揺らぎ始めている現在、危機的状況にあると解説している。

まず、海外のマーケットにおいて、なぜ・どのように市場が飽和しているのかこの記事では触れられていないので、具体的な状況や深刻さがわからない。「ポケモン」以降日本でもメガヒットになっているような作品がアメリカはじめとする欧米でもしっかりと商売になるようになったが、それがもう限界に来ているということなのだろう。まぁ肌で感じる、数字が出始めてしまってる現実、という感じか。しかし、そもそもヒットするしないはかなりバクチ的な要素があるエンタメ作品で、97年からたった10年のトライである。いくらなんでも投げ出すのがはやすぎないか? あらゆるマーケティングを試み、欧米人の心を掴むようなローカライズ(翻訳+α)を施し、きちんと成功の方程式を導き出して、それをちゃんと予算をかけて適用したにも関わらずうまく行かなかった結果なのか。ハリウッド並の歴史と経験の蓄積があって、それで「○○の市場は飽和状態」とか分析しているならまだわかるけれど。
不況うんぬんは、どんな業界だって影響を受けているわけだから、これはあまり理由に挙げても意味がない。任天堂は2009年3月期の業績予想を円高などの影響で下方修正したが、それでも過去最高の売上高と営業利益を確保と発表した。不況になれば巣ごもり現象がおきて、高くつく旅行や外遊びでなく比較的安価な映画やゲーム、音楽などのエンターテインメントに遊興費が移るということがよく言われる。不況のときほど強いのだと。そういう要素もあるはずなのに、とてつもないマクロな経済の話をここに混ぜるのはどうも根拠不足に思う。
さらに、動画違法配信うんぬんの話。まぁ、これもたしかに原因のひとつであろうというのは誰でもわかる。でも、新しい話題かというとまったくそんなことはないはず。違法コピーされたものが堂々と流通してしまうというのは、こういう海外でのANIMEブーム的な流れの先鞭をつけた『AKIRA』のころからずっとあった。というか、『AKIRA』はあまりにそのへんが杜撰でほんとうは実績の何倍もの利益が得られるはずが、大量の海賊版にやられてしまったという話すらある。たしかに、Youtubeは05年にサービス開始、06〜07年にかけて爆発的に広まっているから時期的には合致しているものの、“「日本でアニメを放送された翌日には、現地語の字幕を付けてネットにアップされてしまう」ため、日本で放送終了した作品を海外に販売するころには、海外ファンはすでにそのアニメを見ており、視聴率が取れなくなる”というのは本当か。P2Pの影響でDVDが売れなくなるというなら話は別だが、Youtube程度の画質でしかも何分割にもされたファイルを見ただけで、「もう見なくてもいいや」となるほどアニメファンの忠誠度は脆弱だったっけ? それは世界共通というより海外のファンであれば、いまどきの日本のぬるいファンよりもっと熱心なのではないのか。

国内の売上高という部分に関しては、ジブリ作品に大きく左右される数字だけに、06年をピークに縮小みたいなことを言ってもあまり意味がないのではないか。音楽産業の売上がずーっと下がり続けてるとかの明確な傾向と数字と原因がわかっていてさぁどうしましょうというのは、データの意味が違います。
特に劇場用アニメの数字。
03年51億円 04年166億円 05年159億円 06年306億円 07年242億円 (劇場アニメ全体)
03年ナシ 04年〜05年「ハウル」196億円 06年「ゲド」76.5億円 07年ナシ (ジブリ作品の興収)

06年「ゲド戦記」の数字は低めだが、他にドル箱定番の「コナン」「ワンピース」「NARUTO」「ポケモン」「ドラえもん」があり、「Zガンダム」「時をかける少女」「鉄コン」など、一般レベルで話題になる作品も多かった。まちがいなく「ポニョ」(興収154億円)効果で08年は盛り返すと思うし。売上高というのがどういう計算で行われてるのかわからないが、ジブリ作品の場合ビデオグラムの売上、関連商品、さらには音楽、テレビまであらゆる面で影響を及ぼすだろうから、いっそそれ抜きで計算してくれれば、もう少ししっかりした分析ができるのじゃないかとすら思ってしまう。

はぁメディアの側も根拠もなく持ち上げてみたりそうかと思えばいきなり突き落としたり忙しいこって、と思うけど、なんかこのような一面的な談話がいかにも信憑性のある話みたいに記事になって、まぁおそらくあっという間に「アニメ業界やばいらしいよ」的な話題として広がってしまうのはどうなんだと。現場の人が危機感を共有していくためのステップだとか、それがいい意味で質に反映されるんだということならまだいいとは思うけど、テレビ局のお偉いさんが現場の人かというと、まぁかなり微妙なところですよね。
ぶっちゃけこれって、バブル的な状況にのっかってほくそ笑んでたコンテンツホルダーだったり権利者たちが、表面的な部分だけを見て戦々恐々としてるって図式にしか見えないのです。

(※まぁ最後の部分読むと、この宣伝的な部分を書いて欲しかっただけなんじゃないの、とも思えるし…)

検索していて見つけた、昨年の同様の主旨の日経ビジネスの記事、こちらのほうが具体的な数字や背景がしっかりと盛り込んだ分析がなされていて説得力がある。また現場のスタッフの話や浮上のための提案にまで踏み込んでいて、好感が持てる。

designers republicが倒産…!

昨日mixiやいろんなところで話題になっていてビックリしたニュース。

23年の長きにわたってイギリスの、いや世界のデザイン・シーンをリードしてきたシェフィールドのデザイン会社、デザイナーズ・リパブリックが1月20日をもってスタッフ9人全員を解雇し、倒産したとのこと。
現在のイギリスの経済のひどい状況は日々伝わってくるしよくわかっているけれど、それにしてもこんな身近で偉大な存在すらも(しかも、最近ではケータイのOrangeやCoca Colaのような超メジャー・クライアントと仕事をしていたのだから、才能が枯れてしまって仕事が減ったということでもなかったわけだし)舞台を去らなければならなかったという事実に衝撃をうける。

確報を最初に伝えたイギリスのデザイン系サイトCreattive Review。DR代表だったイアン・アンダーソンからのコメントを掲載

日本のデザイン系ブログ(国内での噂の発火元)ニテンイチリュウ

彼らのデザインの最初期のインパクトは、やはりAge Of ChanceとかPop Will Eat Itselfとかのミクスチャー感溢れるロックにあった。ロンドンに拠点を持って音楽のスタイルにかかわらずレコード会社と緊密に仕事をするというより、地元密着だったりアーティストとの関係で、そのデザイン言語を饒舌に広げていった。今調べてみたら、PWEIの「Def.Con.One」が88年、「Can U Dig It?」が89年だから、まさにアシッド・ハウス旋風の吹き荒れたあとの、一種焼け野原のような地平から雑草のようなDRのデザインが生まれてきたのだ。特に初期の、気が触れたがごとく派手な色彩を幾重にも使って、文字をキャラクター化させる(その過程で日本語を模したりアニメ的な表現が成長していく)世界は、普通に考えたらセンスがいいとはとても呼べないようなシロモノだったはずだ。
その後、同じシェフィールドのWarpというブリープ・ハウス〜テクノのインディ・レーベルのロゴからほぼすべてのアートワークまでを一手に引き受けるようになって、ようやくその才能がじゅうぶんに発揮できるキャンバスを得たとでも言うがごとく、次々とグラフィック・デザインの既成概念をぶち壊すような作品を発表していく。白ジャケ・黒ジャケがあたりまえだった12インチ・カルチャーで、彼らのような豊かな色彩感覚を持ったデザイナーが激しく自己主張をし、時代を作っていったのは幸福だった。決して単価の高いとは言えないレコードまわりの仕事、そんな中でも一番予算的にはきつそうなダンス音楽の世界に軸足をおいたことで、僕らは尋常ならざる量のDRの仕事を目にすることができた。あれだけの複雑な構造だったりレイヤーだったりが存在する初期のデザインのスタイルが量産されていた背景には、驚異的な判断の速さと明確なヴィジョンがあったにちがいない。ある程度の成功を収めると、その後は原点から離れてハイカルチャーや予算の桁の違う世界へと移っていってしまうひとたちがやはり多いなか、DRはごく最近でも当初からのスタイルやスピリットを持ち続けていたと思うし、イアンのコメントを読んでもそれを強く感じる。

他人事のようにこういう“事件”にコメントする立場にないことはよくわかっているんだけれど、それでも敢えて考えたいし、問いかけたい。それは、趣味嗜好のレヴェルじゃなく、もっと深いところで人間の生き方にまで関わることだったと思うのだ。誰もがそう信じたし、実際前世紀の最後の10年にはそういう気持ちだけが原動力になって起きたことがたくさん詰まっている。でも、実際にはそんなものすべてがカスだったんではと、21世紀になってからずっと実証され続けているんじゃないかっていう疑念をみんなが薄々感じているはずだ。なんでもっとうまくやれなかったんだろうという愚問すら(あれ以上どうやって?!)してしまう。だから、そもそもうまくやれないことを美徳とするようなそんな人間ばかりがいたんじゃないかと、もう一度思い出してみるべきだ。僕らはとっくにアフターマスではなくて現実の中を歩いている。


あけましておめでとうございます。

これを書いているのは実は25日ですが、先日富岡八幡宮に厄除けに行きまして、お祓いの前に新年あけてからちゃんと初詣してなかったのでおみくじをひいてみたら、【小凶】が出てしまいまして、しかも書いてあることがいちいちリアルなんですね。まぁ少なくとも神様の前でお願いする前でよかったのかななどと少しだけ前向きになってみましたが、不安なスタートです。
去年のほうがもっと不安なスタートでしたが現在とは社会的な状況が違うので。

まぁそんなことで、ようやく新年をスタートした、というような気分でがんばろうと思います。
ちなみに、1月いっぱいかけて30枚近く紹介できるので引き続き08年のディスク総まくりをやっていこうと思っていたのですが、時間がいよいよなくなってきました。何とか日付を遡ってもう少しは紹介していこうと思いますのでよろしくお願いします。

痛みや不安のまったくない、というのは難しいかもしれないですが、少ない一年になるように願っています。自分にとっても家族にとっても友だちにとってもみなさんにとっても。

Luomo / Convivial (Huume)


Convivial
Convivial


良くも悪くもまったく変わってないという感じのLUOMOの新譜。ポップで軽めのヴォーカル・ハウス。『The Present Lover』というForce Tracksから出ていたアルバムは、ジャケ通りの端正な女性ヴォーカルを当時旬な音だった線の細いマイクロ・ハウス〜クリック的なバックトラックでまとめあげたアルバムで、とってもよく聞いたしDJでも雰囲気を買えるのに使ったりした。これはロバート・オーウェンスが参加したりとゲストの布陣が少し豪華になってはいるが、基本路線はまったく変わらない。安心感を買うというというころもあるだろうし、少なくともまったくパッとしなかった前作『Paper Tigers』よりは全然いいとは思うが、正直演歌じゃん、これという感じもする。もしかしたら前作の反省があって、やっぱり求められてるのはこういうことだよなと開き直ったのかしら。
それはそれでいいと思うんだけど、いつだったかのリキッド・ルーム(もちろん新宿)でのナルシスティックすぎて笑えたライヴから感じられたような狂気がもうちょっとあってもいいかなと。バランスだけで作ってもおもしろくないと思うんです。



The Present Lover
The Present Lover

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John Tejada / Where (Palette)

Where
Where


非常に多作という印象の強いジョン・テハーダ氏の、なんと11作目のアルバム。
このひとの器用なんだけどこぢんまりしすぎない絶妙の配色(パレットという自分のレーベルのネーミングは、まさに言い得て妙なんだと感じる)はもっと評価されていいと思うし、早くからこういう地味ミニマルに取り組んでその可能性を追求してきた末の、今のこの音は俺はかなりリアルに聞こえるんだけどなぁ。リリースのタイミングが悪かったのかアートワークが地味すぎるのか、全然話題にならなかったし、あまり好きという声も聞かなかったよね…。

枯れた感じとメロウな情感、それに常に脳をくすぐるような飛ばし系のSFちっくな電子音が素晴らしく、箱庭的な世界が好きなひとやオーガニック方向に行きすぎたミニマルはどうも…という向きにはピッタリかも。
澄んだ空気の寒い朝を想起させます。
5曲目にニコレットが参加。

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Dinky / May Be Later (Vakant)

May Be Later
May Be Later

チリのサンティアゴ出身のディンキーことアレハンドラ・イグレシアスはティーンの頃からチリのシーンに出入りして、ルシアーノ、リカルド・ヴィラロボス、アトム・ハートなどの現在ではスターとなったようなアーティストたちと出会っていた。その後はダンスを学ぶためにニューヨークへ行って、Body & SoulやTwiloといったハウスのパーティ/クラブに出入りしていたそうだ。このあと、9.11があってビザを更新できなくなり、ドイツへと向かう彼女だけど、この淡々とした変態チックなミニマル・アルバムの背景にそんなドラマが隠されていたとは知らなかった。
全然別人だと思っていた03年のアルバム『Black Cabaret』も持ってるんだけど、こっちはNY時代の経験をもしかしたらより色濃く反映させたようなエレクトロクラッシュなアルバム(歌ものばかり)で、単なるミニマリストではない多才な彼女の別の面を知りたいならこっちもおもしろいアルバムかもしれない。
『May Be Later』は、同郷のルシアーノやリカルドたちの先導する有機的で催眠的なディープ・ミニマルと呼応するようなゆるくもグルーヴィーな曲が山盛りで、しかもラテン音楽的な味付けが自然に施されているのがとてもいい。気品の中にも、どこか野生を秘めたようなアンビバレンスな魅力。しかも、それが美しいのだ。


Black Cabaret
Black Cabaret

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