独善的なまでのデザインの力

昼間ちょっと泳ぎすぎて目蓋が閉じかかっていた。点けっぱなしになってたテレビで『情熱大陸』が始まって、消して寝ようかと思ったんだけど装幀家鈴木成一が取り上げられていて眠気が飛んでしまった。年間600点もの装幀を8人のアシスタントを使って手掛けるというこのひとの仕事ぶりには、ちょっと鬼気迫るものを感じた。番組の作りとしても、丁寧に本を読み込んで基礎となるアイディアをひねり出してから、ロゴ、ヴィジュアル、紙や体裁(帯が本の大半を覆ってしまうとか透ける紙が帯の役目もしていてそれを外すと文字情報が一切ないとか)まで微に入り細に渡りこだわりまくった仕事のやり方を丁寧に追いかけるという、こんなにばらしていいの?っていうほどの突っ込んだ内容になっていた。

自分の周りにも美意識だけで人格が形成されているんじゃないかって思うようなデザイナーは何人かいる。でも、「こんなタイトルではデザインしない」と言い張ってタイトルを変えさせてしまうという、独善的なまでの仕事のスタンスを貫いているなんてひとはさすがにいない。よっぽど本が好きなんだろうなぁと思うし、こういうひとがいる限り紙に印刷された書籍という文化はなくならないだろうという安心感もあるんだけども、本の編集をやっていた立場から考えると、このあまりに一人の才能にすべてを投げてしまうというやり方は編集者として職務放棄とも言える極端なものなんじゃないかとも感じる。だって、普通はまず編集者がどんな「顔」をその本に持たせるかをじっくり考えて、タイトルやキャッチコピーなどの文字要素が決まっていて、ヴィジュアル素材も自分で探して、それらをどのように配置して欲しいかという大体のアイディアも決めて、ラフと素材を持参してデザイナーに渡すというのが当然の流れなんである。今回の番組を観た限り、鈴木氏のやってるのは、もっと前の段階−原稿がとりあえず打ち出されたゲラを読む−ところからスタートして、「全部やってしまう」というものだ。もちろん、番組では敢えてカットしただけで、途中で意見のすり合わせやチェックという段階はあるのだろうけど、それにしてもここまで責任を持つというのもスゴイし、それをやらせてしまう出版社側も思いきったものだなと。

アマゾンなんかが台頭したことで、かつて以上に表紙のパッと見の印象というのは重要になっているのかもしれない。ただ、質感や手に持ったときのインパクトをすごく考えていそうな鈴木成一の目指すところは、ちっぽけなJPEG画像でどうこう言われるようなものではないだろう。無駄とも思えるこだわりが、最終的にはお手軽なデジタルショッピングが全盛になった時代になってもその効力を持続することができたということか。つまり、彼の手掛ける本が多くベストセラーのリストに並び、ひっきりなしに依頼が来るというのは、内容がよければいつかは売れる(とか評価される)というようなおおらかなことを言っていられた時代はとっくに過ぎ去ったんだよねという証左なのかも。見栄えを良くするというのは、最も基本的なマーケティングのひとつだし。

そういえば、平田真一郎氏も、デザインの力で物を売ることはできると断言していたな。まぁそうは言っても、音楽業界はどんどん予算もなにもなくなってしまい、パッケージなんてできる限り金をかけずスタンダードなものですまそうとする傾向がより強くなっているので、もしかしたら「とにかく安く!」っていう消費者の圧力に変な形で屈服して自滅の道を歩んでるんじゃないかって気もするが。