ピンクハレルヤ論争

松谷くんの日記のコメントに余計なことを書いたためにえらいことになってしまった。
はてなの怖いところはこうやってすぐにいろんなひとが書いてあることを見つけてしまうことだ。ここには筆者の素性を教えるような明確な情報はひとつもないので単なる名無しさんと変わらないし、自分にはそのくらいの投げっぱなしのスタンスで書き殴れるような場所が必要だからそうしてるんだけど、グーグルにもやたらに引っかかるし遠方からはるばるやってくるようなひとがたくさんいてちょっと困っちゃうなという気持ちもある。

今回の件を無責任にも客観的に読んでいくと、結構おもしろい発見がたくさんあった。普段交わらないようなひとたちがキーワードなどを介してこうやって接触してしまうというのは「はてな」の機能が持つ実験的な側面が顕れた結果だと思うし、人種のるつぼ的な様相がある部分で生まれているのだとしたら、昔のパソ通とかファーストクラス(それこそ松谷くんとは虎山つながりだったり…)の魅力的だった部分が蘇ってくるようだ、とか言ってみたい衝動に駆られる。

「ピンクハレルヤとネタにされるバンギャに」軽くコメントしたワレワレと、バンギャの逆襲という構図は、どっちも必死でなんかおもしれーなっていう野次馬根性に火を点けられた(当事者なのに)。だから、彼女たちの言うように少しお勉強をしてみた。

で、思ったのは20年経ってもこういうひとたちの言動や思考はほとんど変わってないんだなということ。すっかり忘れていたんだけど、高校生のときにちょっと遠方の女子校に通ってる不思議ちゃんと知り合いになって、しばらく仲良くしていたことがあった。遅れてきたニューウェイヴ世代の自分たちがある程度金も時間も行動も自由になるころには、周囲にはそんな絶滅寸前の音楽を追いかけようなんて酔狂な若人はいなくなっていて、お互いに同類を見つけたって感じで盛り上がった。まぁ恋愛ごっこみたいなものか。
彼女はジャパンとかデュラン・デュランみたいなベタな美形バンドはもとより、キュアーあたりを経てポジパン(エイリアン・セックス・フィエンドとか)までカヴァーしてるというひとで、さらには文章や絵まで書くという典型的な文化部系のクラスに友達のいない暗い子、だった。たぶん一年くらいは親密な時期があったように思うんだけど、急に疎遠になっていく。それは彼女が、雑誌のグラビアよりもっと手の触れられるくらい近い場所に熱狂の対象を見つけてしまったから。会ったころは武道館、サンプラザ、NHKホール、渋谷公会堂あたりが行動範囲だったのに、いつのまにか毎週のように鹿鳴館に行くようになってた。一度、あまりの変貌についていけなくなって「なんでだよ?」って問いつめたことがあったけど、「わたしの趣味は変わってないよ」って一蹴された。
どんな村にも自分たちと実際には存在しない平均的なフツーのひとたちを差別化して自分たちの居場所を確認しようとする意識はあると思う(テクノ村には非常にそれが強い)。ほとんどの場合は、無意識に近い部分でそういう差別化が行われる。しかしあからさまにパンピ:バンギャなどと一般社会と自分たちを二項対立化し自意識を保とうとするなんて、だいぶ幼稚なメンタリティーが残っていたもんだ。
いや、もしかするとある程度の年齢に達すると卒業(引退?)していくような趣味で、なおかつ一時に比べたらメジャー感も衰退してしまったジャンルだからこそ、そういう足場固めが必要なのかもしれない。テクノなひとたちが同様の傾向を持っているのはやっぱりYMOブームとジュリアナと、最近だとサイバートランスがあったからに違いないし、同様に考えると誤解と後ろ指とディスコミニュケーションの果てに彼女たちが身にまとってるのは、化粧やコスじゃなくて鎧だったのかなぁ。