トびらを開けて!

ついでに『はねトび』のことをちょっと。

「ピンクハレルヤ」と「黒族」
「夢子」と「MUGA様とおーたむSAN」
というコントが単なるパロディーではなくて、本来でっちあげですむはずのネタの中のネタまでも作ってしまったという点が既存のものとは違うんじゃないかなぁというのは既に書いた(前日のリンク参照)。

一種のメタフィクションになるのかもしれない。

逆に「栞と博のテーマ」とか「グローバルTPS物語」は落としどころ(それぞれ嫉妬の対象と勧誘相手)に芸能人をもってきてしまったがために急にテレビのバラエティー番組的な色合いが濃くなってしまったでしょう。

そういう意味で、いま注目なのは「哲哉とお父さん」じゃないかと思う。「MUGA様とおーたむSAN」と同じ、塚地+秋山コンビによる新作シリーズ。オタクの会話を緻密に再現した「MUGA様とおーたむSAN」はふたりがセットになってひとつのキャラを形成していたのに対して、こまっしゃくれた園児の哲哉とバツイチど変態のお父さんはまったく独立したキャラだからだ(最初はガキの異様さを引き立たせるだけの存在に見える親が実はキーパーソンだったというオチ)。さらにそこに北陽の「お休み」で苦し紛れに編み出されたゲスト女優のからみという前述のパターンも合体しているので、偶然にも(?)今までなかったような構造ができてしまっている。

観客の視点は、どういう関係かよくわからない3人組みというシチュエーションか、頭の足りない子が暴走していく様子か、美女とオッサンの絵にならない恋の駆け引き的会話か、どこにフォーカスしていいのかよくわからないまま宙ぶらりんで放置され、半ば無理矢理オチがやってくる。ゲストという異分子が入る分ぎこちなさがあって、それが効果的に最後の親子の会話を引き立たせる。二世代揃ってダメなのだという壊滅的な状況をここまで的確に描いたのは、すごいと思うんだけどな。それこそ「ドラクエ」や「ガンダム」で共通の話題を持とうとする友達みたいな親子っていう現象がフィクションの中で初めてちゃんと取り上げられたんじゃないかという気もするし。
惜しいなと思うのは、哲哉の握りしめてるソフビ人形が、ゾフィーとタロウだってこと。「ゾフィーとタロウ、どっちが強い?」なんてセリフは視聴者にはすごくわかりやすいと思うんだけど、もっと今旬なヒーローにするべきだったんじゃ。「スマスマ」はちゃんとそれをやってたしね。

それにしても、お笑いの内容を文字にするのって虚しい作業だね…。