死に至る病

来日してたドイツ人ゲーム・ジャーナリストに頼まれてファミ通編集部を訪問する。
一緒に行動していたマイク(・ヴァン・ダイク)も同席して、急造の取材になる。通訳は久々だったんで日本人に対して英語で喋っちゃったり支離滅裂なところも。頭のスイッチの切り替えがうまく行かないんだよね。マイクが『ウィニング・イレブン』の名手と聞いて、ファミ通一だというの編集者が名乗りを上げて対戦がスタートしたんだけど、予想外にマイクが勝ってしまい、いつのまにか集まっていたギャラリーも悔しいような感嘆したような複雑な声を上げる。なにげにWIREのパスケースを首から提げている女性スタッフがいたりして、ちょっとおもしろい晩だった。

その後は、マイク最後の夜だったので軽くお別れの会を渋谷で。Q'Heyくんが参加したこともあって、業界の行く末みたいな話がかなり出た。もちろん彼らはそれで喰ってるわけで、楽観視はできない状況にいろいろ思うところもあるし、ヘラヘラとしていられるわけはない。
EFAのことからジゴロやフォース・インクのことに話が及んだけれど、サイトが閉鎖されたことに象徴されるように、既にフォース・インクは倒産しているとのこと。当然、フォース・トラックスも、ミル・プラトーもこの世から消えた。フォース・インクはその浮気性的な部分もレイヴ時代にスタートしたことも歴史を経てもダンスという主軸を失わなかったこともひっくるめて、目標とするべきレーベルという気持ちを強く持っていたから、本当に残念だと思った。勘づいてはいても認めたくない事実、というような状況だっただけに。

カスパーの件は日本にいたからか、ドイツ・チームは誰も知らなかった。つい最近TRESORでプレイしていたはず、観に行きたかったんだけど…とマイクは言っていた。
さらには、ラヴ・パレードの件になったけれど、こちらはまだ完全に中止が決まったわけではなさそう。既にその時期の関連パーティーはたくさん企画されているし、モテが送ってきたメールにはビジネスサイドはやりたくないと思っているけど、音楽面で主体となっていたひとたちは諦めてはいないと。パレードがなくても路上のゲリラ・パーティーもたくさんあるだろうし、たくさんその週末にベルリンを目指すひとがいるはずで、初心に帰るなら何もないという状況は回避されるだろうと。
既に巨大化一歩手前だった93〜94年頃でも、まだみんな金を出し合ってトラックとサウンドシステムを借りるっていう手弁当なスタイルが普通だったことを考えたら、ゴミの問題さえなんとかなれば商業化の極みを経てあるべき姿に戻っていくのかもしれないと思う。