『オープン・ウォーター』はダイビング産業破壊映画?

アメリカやイギリスでの大評判に比して、日本ではちっとも売れていない気配が濃厚な“実録(風)海と鮫の恐怖! もしダイビング中置き去りにされたら?”って映画『オープン・ウォーター』を観てきた。
ブレア・ウィッチ・プロジェクトジョーズっていう宣伝文句は当たらずも遠からずって感じで、正直なところ実話を元にした怖い映画っていう括りだとフィクション部分が薄く話も映像も淡々としているので、実際にダイビングをやってるか海で怖い思いした経験があるか、もしくはかなり豊かな想像力を持ち合わせないと心底怖いという気持ちにはなれないと思う。『ブレア・ウィッチ…』も山で恐ろしい目にあったことがあるっていう要素が観客側にあれば、単なるこけおどしと思いつきのブラフ(本物の事件後に残された映像だというアレ)だけで構成された一発芸映画だとは感じなかったはずで、その辺はあんまり日本では議論されていなかったようだけども間違いなく心理的恐怖感を喚起するためにはそういう説得力が必要な要素なんだと思う。『リング』が世界中で受け入れられたのも、出処不明で何が録画されているかわからないビデオなんて誰の家にも転がってるモノでそこに感情移入できたという要因があったからと考えられる(だからきっと、物心ついたときからHDだのにデジタルで録画っていう世代が後にあれを見てもそんなに怖いと思えないんじゃないか)。
オープン・ウォーター』の監督は、自らもダイビングをたしなむひとで、実際にあった事件をヒントに映画の企画を練ったということなんだけど、単なるエンターテインメントとして考えるとあまりにダイバー側に作り手自らが感情移入してしまった部分が、もしかしたら多くのひとの「ただ海で漂流してるだけの映画かよ!」なんていう不満を引き起こしてしまったのかも。

そもそもこの映画に興味を持ったのは町山さんがはてなで昨夏いつもの熱弁で紹介していた記事を読んだから(愚劣な荒らしでサイトが閉じられてしまったいまでは再確認のしようがないんだけど…と思っていたら、コメント欄を削って再開していますね。良かった)。いま読み返してみるとひとつも断定してはいないものの、僕はこのエントリーを読んで、モデルになった事件の夫婦はいまでもどこかで生きていて、これは仕組まれた狂言だったのだという仮説に結構な説得力を感じた。そもそもふたりが置き去りにされてしまう原因となったのが映画ではスタッフのミスであるのに対し、ここで紹介された話では「搭乗員名簿には二人の名前はなかった。二人はなぜか記名しなかったのだ」となっていて、それが事実なら自殺とか狂言とかいう話もありえないことではないように思える。

現実は映画よりもっとミステリアスな謎がたくさんあったのなら、なんでその辺をもっとうまくフィクションに取り込まなかったのだろうというのがすごく大きな疑問だった。それでいろいろな英語サイトで実際にあった事件のことを調べていたら、どうやら真相はもっと映画に近かったのだという新説をみつけることができた。

CYBER DIVER NEWS NETWORKというサイトのかなり長文のレポートがその辺を非常にうまくまとめている。
(以下、勝手に要約)

ルイジアナ州立大で出会って学生結婚したトム・ロネガンとアイリーンは世界を旅していた。学生時代にダイビングにはまったアイリーンがトムを説得し同じ趣味の世界に引き込んだのが、ふたりのダイビング歴の始まり。彼らはアメリカを出て、ツバルやフィジーでボランティア教師として働きながら生活した。故郷へ帰る前に、もっと世界を旅しよう、そう決めてふたりはまずオーストラリアのグレート・バリア・リーフへ立ち寄る。もちろん、ダイビングを楽しむためだ。
160オーストラリア・ドルを支払ってふたりが参加したのはアウター・エッジという船での日帰りツアー。客は26人、クルーは5人だったという。このツアーでは、トータル3回のダイブが行われ、最終の午後3時ころからのダイブの後事件は起きた。ロネガン夫妻を乗せないまま、アウター・エッジ号はスポットを去ってしまったのだ。

翌日、アウター・エッジ号は別のツアー客を連れて再度同じスポットを訪れる。その日参加していたダイバーが海底に落ちていたウェイト(重り)を発見。これは、ロネガン夫妻のものだったのだが、そのとき船のクルーは「いいものを拾ったね、ラッキー」という調子だったとか。この時点ではまだふたりは生きていただろうというのが、後から見つかった遺留品によって明らかになった。
事件から数ヶ月後、現場から北に100マイルほどの場所で、漁師がダイブスレート(水中ノート)を発見した。そこには、事件翌日の夜明けに記されたトム・ロネガン直筆のSOSメッセージが残されていたのだ。

アウター・エッジ号のクルーは、事件から2日も経過して初めてふたりを置き去りにしてしまった事実に気付く。船に残されたふたりの荷物が見つかって、財布やパスポートがそこからでてきたからだ。アウター・エッジ号の船長、ジャックはメンバーに人数を確認しろと命令していたにもかかわらず、きちんと数えられていなかった。途中で海に飛び込んだ参加者がふたりいて、カウントがおかしくなってしまったのだという。その後、二組のレンタル用ダイビング・セットが消えているのに誰も気付かず、翌日も普通に客を乗せてツアーを行っていた。

ロネガン夫妻の捜索はとても大がかりなものになったが、結局ふたりの遺体は発見されなかった。スレートの他に見つかった物証は、アイリーンが使っていたのと同サイズのウェットスーツ(痛んでいたものの珊瑚礁との接触によるものと鑑定された)、トムとアイリーンの名前入りダイブジャケット(膨張式で水に浮くためのもの)、さらにはまだ空気の残ったふたりのタンク、それにアイリーンのフィンが片方だけというものだった。これらの状況証拠から、ふたりがサメに襲われて喰われてしまったという可能性はかなり低いと専門家は考えた。

後に、この事件に関してさまざまな噂が出てくる。トムが残した日記の文章から自殺を疑う話や、狂言であるという話、またはふたりを目撃したという話まで。しかし、その出所を探っていくと、信頼を失いビジネスに大打撃を受けたアウター・エッジ号のオーナーであることが多かった。また客が激減したグレート・バリア・リーフの観光産業全体に危機意識が働いてこのような話が広まったとも考えられる。

船長のジャックは故殺罪(計画的殺意のない殺人罪)に問われ裁判を争った結果、無罪となったが職を失って、さらに今回の事件をベースにした映画の製作・宣伝によって計り知れないダメージを受けたのだという。グレート・バリア・リーフで、ロネガン夫妻の話はタブーに近いものとなっている。

どうでしょう?
映画がいかに事実に近く設計されたのかわかるでしょう?
ラストの展開にしても、見つかった遺留品とちゃんとリンクするように作られてます。

オープン・ウォーター
オープン・ウォーター