フィクションを正視できない

もう劇場公開終わりそうだったので『嫌われ松子の一生』を観に行く。脚を痛めてほとんど身動き取れないから家にこもってると鬱々してくるという理由もあって無理に外出したのに、劇中の松子よろしく片脚をひきずりながらみっともない姿勢でずるずると歩く自分がとことん嫌になる、そんな映画だった。
いや、別にみんながみんなそんな気持ちになるってわけじゃなく、むしろ『下妻物語』から受け継いだ人工着色料たっぷりという感じのどぎついカラーもポップで凝りまくった画面も、そしてミュージカル仕立ての歌と踊りでシーンをつなげていく手法も、陰惨な物語をカラッとしたものに変えて前向きな気持ちでエンディングが迎えられるように採用されているのだろうし、大方それは成功してるんだろう。でも、僕にとっては、語るのも憚られる個人的な事情とばっちりリンクしてしまう映画の中の3つのシリアスな設定がとても重くのしかかってきて、最後の方は本当にいたたまれない気持ちになってしまった。最初はまだクスクスしながら見られたが、もうね正視できません、勘弁してという。
中谷美紀はじめ役者がみなさんめちゃくちゃ力入ってるのもわかるしすごく上手いんですわ。そして音楽そのものも、その使い方も、気持ちにちゃんととどくようなもので、その辺はさすがと思わざるをえない。ミュージカルがホント嫌いで、ミシェル・ゴンドリーの手法さえじゃまくさいと感じた自分には余計そうなのかもしれないが、その、CMの世界で磨き抜かれた上手すぎる手練手管が、だんだんとふざけてるんじゃないかという感覚を加速させる装置になってしまったんです。

まじめすぎるのでしょうかね、自分。


ああ、それでTBSが制作委員会に入っていたからそういう予感はあったけど、今度この物語を内山理名主演で連続ドラマ化するのだそうで。ものすごくじめじめした昭和のドラマのような画作りの作品にしたら喝采ものかも知れないが、そんなワケはないので、きっとひどい仕上がりの二番煎じが登場するんだろう。そちらは違う意味で正視に耐えないかもな。

嫌われ松子の一生 通常版
嫌われ松子の一生 通常版