追記(下のコメントへのレス)11/23

学生に見えたっていうのは逆に言えば「はっちゃけていた」という印象が強かったのかな。30歳子持ちっていうのはすごい。正直リスペクト。そういうひとがもっと増えればいいのにとすら思う。トランス系のひとたちは、割と子連れでパーティーに行くという行為が普通だという印象があるんだけれど、それと比べるとテクノを聴くひとはすぐに引退というか通過点みたいにいなくなってしまうことが多く感じる。
95年ぐらいの代々木には、まったりしたムードというか、なにかやりたいっていうひとたちが集まって、クラブには馴染めない/年齢的に行けないっていう層や、ただ遊びたりないひと、通行人、それにプロのDJとかも一緒くたになって気負いなく楽しんでいるような雰囲気が一瞬だけ自然発生的にできたように思う。今も将来も都内ではそんなことが再び起こりうることはないと思うんだけど、あの場所の開放感(「外」との地続き感)と少なくともやってる側は楽しくてしょうがないんだというイメージには、それに近いものを感じた。
だからこそ、客がいないのが非常に残念だったなぁと。そういう方向にもっていきたくないだけなのかもしれないけれど、ブースの周りで盛り上がっている(誰が見ても内輪にしか見えない)より、同じひとたちがフロアに降りてきて踊っているだけで入りやすさが全然違うと思うんですよ。どんなひとでもいいから30人が常に楽しそうに踊っている状態になったらガラッと風景が変わるでしょう。
苦情を言ってきたという近所の人たちにしても、排他的に(カルト団体的に見えてしまったりしたらそれこそヤバイ)なりがちなテクノ集会が、家族連れやフツーのひとたちが楽しそうにしていたら、音はともかくとして「まぁ若い人たちが楽しそうにしているしねぇ」って寛容になって微笑ましい出来事という気持ちを持ってくれるかもしれない。

まだクーダムでやっていたころのラヴ・パレードがすごいなと思えたのは、そういう部分だった。山に籠もって閉鎖的に自分たちの楽しみを追求するのも、こういう社会のなかで続けていくには必要な方向性なのかもしれないが、それだとやっぱり異端のままだし広がりもない。公の場で不特定多数に向けて音を出すというのは、やはり自分たちの気持ちよさみたいな部分以上にどうやって周囲にコミットするのかということがでかくないですか。少なくとも、ここでこういうコミュニケーションが生まれるくらいの何かはあったわけだし、もっといろいろな化学反応が起きてくる可能性もたくさんある。楽しむことや続けることが一番大事だし大変だと思いますが、まだこういうひとたちがいるのだなぁという実感は、とても励みになります。来春に期待してます。