美意識という名の狂気

終了が目前に迫っていたので焦ってラフォーレに『The Peter Saville Show』を観に行く。会場でこの展覧会用にニューオーダーが作った曲のCDが買えるという話だったんだけど、限定200枚だっというそれはとうの昔に売り切れ、それどころかカタログまで売り切れているという有り様。まぁ、ほとんどの展示物が単なる印刷物(というかすり切れたレコード・ジャケット)だというのに美大の学生っぽい感じの来場者でいっぱいの会場の様子を見ていれば、相当な集客だったのだろうということは予想がつく。

展示の大半はやはりファクトリー時代の一連の作品に割かれていて、アイディアの源泉と細かい脚注とともに展示されたそれらは、まるでサヴィルのはらわたまでもすべてさらけ出したような大胆さで衝撃を受けた。引用といえば聞こえはいいものの、ものによってはまるパクリという感じのデザインもあり、しかしそれらも元デザインが借用された意味であるとか音そのものとの関わり、それから入稿用の指定などにみられる神経質な書き込みに顕れた熟考の後の断定的な自信をトータルして考えると、そうでなければならなかったとすら思えてくるから不思議だ。

Pantoneのカラーチップが異常な枚数貼られた校正紙とか、靴箱に収められ保存されている「True Faith」のジャケの枯れ葉とか、特殊印刷を強行するあまり印刷所に何度も火事を起こさせた逸話だとか、障害者のワークショップと称して手作業で組み立てさせた(恐らく無料で)トレペ・ジャケとか、『24 Hour Party People』で語られたレーベルの無軌道ぶりを補完して余りある衝撃の展示がてんこ盛りで、いっぽ歩くごとにくらくらしてくる。片隅に追いやられたメジャー作品の無難な仕上がりに比べるとあまりにぶっ飛びすぎているファクトリーでのヴィジュアルの創造に、いったいそこにはどんな狂気が渦巻いていたのかと。

成功後、広告絡みの事務所を渡り歩いてどこでも長続きしなかった後にどんどん内省的な世界に入っていったように感じることや、最も最近の作品からは既にまとめに入っている姿勢がありありと伝わってきて一抹の寂しさも感じた。そのデザイン人生においてほとんど誰も信用できなかったのだろうか、とか。
いろいろ考えさせられることばかりだった。うまくまとまらない。