ひとり暮らし

訳あって新年からひとり暮らしである。
就職するのとときを同じくしてひとり暮らしを始めて、でもすぐに誰かがイソウロウ状態で居ついた記憶があるので、実は完全なひとり暮らしの経験というのは1年少々しかなかったように思う。当時の初台のアパートは7.5万もする1Kで、風呂場以外はお湯がでない上に洗濯機を外に置く安い作りの部屋だった。金属の外階段は誰かが歩くとガンガンとけたたましい音をたて、よく早朝の新聞配達の駆け足が原因で眠りを妨げられたものだ。冬に皿を洗うのも洗濯するのも苦痛だった。湯沸かし器がしょぼいせいでボイラーの設定温度を最高にしてもすぐにお湯は冷水になる。真冬にシャワーを浴びようものなら、暖まるつもりが寒中水浴び状態になって心臓が止まるか風邪をひくかみたいな惨状が待ち受けていた。なので待避用に狭いユニットバスの湯船に腰の下くらいまでお湯をはって、それから風呂にはいるようにしていた。

よくもまぁあんな部屋で2年も暮らした(しかも後半は2人で)なと今になってみれば思うけれど、若いころは順応性もあるし、海外のドミトリーとかに比べれば遙かにましな環境なのだから、不便さよりも「誰にも邪魔されない自由気ままなひとり暮らし」の楽しさの方が勝っていたんだろうと思う。

長いこと他人と一緒に住むという生活を続けていると、いつのまにか誰かが家にいるという状態が普通になってしまって、どこかしらその安心感に依存している自分がいる。日常の些末なこと(ゴミ出し、掃除、ビデオ予約、宅配便の受け取り、植木の水やり、切れた食材の買い出し…)を頼めるひとがいるとかそういう便利さを失うことは、ややあって自分が日常より多少緊張感を持つことで解決するんだが、玄関で靴を脱いだ瞬間から気分が弛緩してしまい、だらっと生活のペースが乱れていくことはどうしても制御できない。

それに、今の部屋はベッドとオーディオとテレビがほとんどの空間を占拠していて床に座って手を伸ばせばすべてのことができるような環境じゃない。ひとりで暮らすにはちょっと広すぎるんである。飛行機が欠航になったりしてトランジット先でだだっ広いホテルにひとりで泊まらされた経験がなんどかあるけれど、ああいうときの何とも言えない手持ちぶさた感というか寂寥感というか、そういうものに近い感じがずっと続く。

自分から積極的に人づきあいしたりする意欲もないくせに、いざ独りになるとすぐ誰かに電話してみたりする情けないヤツなんです。でも、そんなに便利に遊んでくれるヒトなんて見つからないよね。もし今の時代に自分が学生だったら、引きこもってたかもしれないなぁ。その素養は十分にあるね。今風に言うなら、マチガイナイってやつ? 独居老人とか、どうやってこういう感覚とつきあってるんだろうか。ふと、だだっ広い家にひとりで住んでる親のことを考えてみたりして。