カメラ=万年筆

昨夏、海に持って行ったりして潮風や砂埃にさらしたことがボディーブローのように効いてきたんだろうか。先日、前触れもなく愛用のデジカメが失明した。FUJIのFinePix F601っていう、記憶媒体に使用するのがSmart Mediaと、その言葉を口にするだけであまりにも旧世代感の強い300万画素機。画面に青い横線のノイズが走るなと思ってスイッチ切ったり入れたりしてたら、どんどん画面が暗くなっていきとうとうほとんどなにも見えなくなってしまった。CCDがやられたのか、途中の電気系統がいかれたのかわかんないけど、あっけない最期だった。目がやられたカメラなんて、死んだも同然だもん。
これ当時のリリース見たら、希望小売価格で(今の適正な税込み表示を採用すると)約9.5万円もしてたんだね…。形状や手に持った感じは未だに好きなので、余裕があるときに直そうと思うけど、300万画素クラスのデジカメなんて2万円しないような現在、新しいのがひとつ買えるくらいの修理代請求されるんだろうなぁ。

取材とか、簡単な画像の取り込みなんかはほぼデジカメで撮影して入稿するケースが増えてるし、無いと困るので新しいの買った。
これ↓

CASIO EXILIM Pro EX-P600
CASIO EXILIM Pro EX-P600

よくよく考えると、ケータイのカメラもあわせたら、家にデジカメが4台(1つはSONYの水中・アウトドア用U60)、フィルムカメラが3台あって、そんなに必要ないじゃんという気もする。Nikonの一眼レフなんて会社に置きっぱなしで全然使ってないし(重いのとでかいレンズ向けたら被写体が構えてしまうので)、ケータイのカメラなんてホントに月に一回くらいしか使ってないよ。Pentaxの40年くらい前のハーフカメラが、フィルムの入れ方わかんなくて(笑)、埃かぶってるので使ってあげたいなとずっと思ってるんだけど、一度デジタルの手軽さに慣れちゃうとなかなかねえ。

でも、不思議なもので新しいカメラ手にすると、試し撮りだとか言っては普段撮らないようなちょっとアーティスト気取りのもの撮ってみたりする。人間は言語をおぼえたから思考するようになったのだと言うけれど、カメラっていう目を持って初めて見ようとする世界というのもある。いかにもな記念写真とか嫌いなんでほとんどそういうものは撮らないんだけど、無駄に撮りためたバカ写真なんかは、やっぱりそのとき持ってるカメラの愛着の度合いによって枚数も質も変わっている感じがする。

今度のヤツは、マニュアルもかなり自由に設定できるからちょっとまた写真熱が上がるかもしれないなぁ。