続・魚心あれば

前日からの続き
先に前日をお読みください。
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松屋のあたりにいるんですけど…」
松屋か、ちょうど駅の逆側だな。まぁ2分くらいで移動できる距離。

「反対側ですけど、今交番の近くにいて、駅の方に向かいますよ。改札出てすぐマクドナルドあるでしょう。あの前あたりにいます」
とりあえず用件を伝えたので、彼女のケータイでかけてるわけだし電話を切って待とうとした。

「あ、切らないで。そのまま話し続けててもらえますか。いまダッシュでそっち行ってるから…」
小さく聞こえる彼女の少し乱れた吐息。雑踏の音がだんだんと大きくなってくる。

「僕、赤いTシャツに坊主でメガネなんで、来たらすぐわかると思います。周りに誰か待ってるようなひともいないようだし」
…って、なんか声を掛けるのをためらうような容姿を伝えてしまったかも。そんなもの変えようがないし、仕方ないんだけども。

「……あれぇ、今駅のトコまで来たんだけど」
ちょうど下りの電車が到着した直後だった。一つしか改札口がない駅なので、電車が着くと一斉にひとが出口に流れてきて、繁華街のような人混みになる。無理矢理駅前に商品を満載したバンを駐車して帰宅途中のひとに梨だとかを売ってる露天商がいたり、道行く人に声を掛けては断られ続けているカットモデル募集中の美容師の卵たちの姿もあって、ただでさえてんでバラバラの方向を目指している人の流れは、すこし目標をそらされただけでビリヤードの玉のように向きを変え、かなり乱れまくっている。

一瞬、フワッと人の波が割れると、その場に不釣り合いに見える制服姿の女子高生の姿が見えた。「あっ」と思わず声を出してしまったのはこちらだったか、彼女だったか。数秒の狂いもなく、お互いの視線が道を挟んで交錯したのがわかった。
「見つけた」
というと、彼女は軽く手を振りながら道路を小走りに横断してくる。
こちらも軽く会釈すると、まだ彼女のコロンの残り香が漂う端末を耳から離して終話ボタンを押した。

「ど、どうも、ありがとぅ」
と、ちょっとはにかんだように言う彼女は、「ぴ〜す!」の待ち受け画像のはっちゃけた姿とは別人のようにも感じた。
「はい、これ。よかったね」
アクセサリーのせいで端末自体の倍くらいの重さになってる手の中のブツを数時間ぶりに持ち主の元に返すと、できるだけ好青年っぽくふるまうようにして、白く輝く歯でも見せんばかりの勢いで微笑むと、すぐにきびすを返して自分の家のある方向へ歩き始めた。「じゃあね」と、振り向きざまに爽やかちっくな挨拶だけ残して。

100メートルくらい歩いただろうか、あんまりにもあっさり別れすぎたかな、なんて考えながら、後ろを振り向きたいという欲求を必死に我慢していると、カツカツと革靴がアスファルトの路面を叩く音と「すいませ〜ん!」という、聞き覚えのある声が迫ってきた。
にやけそうになるのをグッと堪え、どこからみてもポーカーフェイスのまじめくさった顔を取り繕って、声のした方に向き直ると、彼女が駆け寄ってきた。

「いま親が待ってるんで…あとでちゃんとお礼するんで……」
ちょっと息が上がり気味なのか、きちんと話せない様子。暗がりの中でも上気した頬が少し赤く染まっているのがわかる。
これ!という感じに、彼女は自分のケータイを差し出すと、そこには彼女の番号が映し出されていた。

「いま、この番号にかけてください」
早速自分の端末を取り出して、その番号を打ち込み、通話ボタンを押すと、一拍遅れて彼女の手の中の白いFOMAがブーッとバイブした。
「あ〜、バイブにしてたんだ。どーりで何度鳴らしてもらってもみつかんないわけだぁ」とひとりごちると、今度は僕の番号が表示された画面をこっちに見せる。“バイブ”って言うなよ、というツッコミは心の中だけに留めておいた。

「じゃあ」と言うと、彼女は深々と頭を下げて、右手を大きく前に差し出す。
「うん」とその手を軽く握って、彼女がまた小走りに駅の方へと帰っていくのを見送った。

角を曲がって彼女の姿が完全に見えなくなるのを確認すると、自然に僕の頬の筋肉がだら〜んと弛緩するのが感じ取れた。あ、名前も訊かなかったな。母親が「田口です」と名乗ったこともすっかり忘れて、僕は今コールした番号を「新規登録」すると、ちょっと考えた末に“ウエト”という名前でアドレス帳に入力した。これなら、どっから見ても怪しくはないだろう。フフフ。

そこから坂を上がって、10分くらい歩き、そろそろ自宅の明かりも見えそうだなと思ったとき、すっかり自転車のことを忘れていたことに気がついた。

(続く)