V for Vendettaが素晴らしすぎる!



最初、アメコミ原作でウォシャウスキー兄弟が脚本を書き、『マトリックス』のチームが製作、しかも主役がヒューゴ・ウィービング(『マトリックス』のエージェント・スミスね)という説明を聞いて、あまり興味が湧かなかった。そうだな、きっとナタリー・ポートマン丸坊主姿というフェチ心をくすぐる要素がなかったら、劇場に行こうとまで思わなかったかも。
そもそも『マトリックス』のシリーズでは、観念的になりすぎてしまったところが回を重ねるごとにひどくなっていったし、監督のオタクな趣味性が悪い方に転がって話自体はどんどんインフレ起こしているのにチマチマしたイメージに収斂してしまう感じがどうしても性に合わなかった。それに、あの衣装から音楽からモロモロの造形やら設定から……制作者がカッコイイと思ってやってることが全部ビミョーに外しまくっているところが、真剣になろうとすればするほど悲しくなってきてさ。

今回『Vフォー・ヴェンデッタ』の監督を務めたのは、CM畑出身で、助監督としてこれまで『ムーラン・ルージュ』、『スター・ウォーズ エピソード2』そして『マトリックス』のシリーズで経験を積んできたというジェイムズ・マクティーグ。(実際にはかなりの部分ドイツで撮影されたらしいが)ロンドンの空気感まで捉えたように感じる、どんよりしてときに黴くさいような、それでいて独特の気品と洗練を感じさせるような、その美しい映像はハッと息を飲むほどだし、クラシックをベースにしてラストにストーンズを持ってくる音楽や、陰影のコントロールが絶妙な撮影も、ムダな肉体のぶつかり合いや弾丸の飛び交うのを排除し流麗な剣技をベースにしたアクションも、黒と赤にこだわりまくったグラフィカルなヴィジュアル表現も、ひとつひとつがきっちり作品の根幹で不可欠なピースとなってる。


まぁ、自分としてはナタリー・ポートマンがブリティッシュ・イングリッシュで叫んだりクールなことを言ったり愛の告白をするだけで、もうメロメロなんですけども。ここまで徹底的に英国らしさにこだわってくれると、原作が“アメ”コミと言われてるけど実はイギリス作家によるイギリスのコミックだから、というあたりまえのコトだけじゃなく、そこにはフィルムの作り手の確固とした意志だったり必然的な理由があると思いたくなるわけですよ。
多分に社会的・政治的要素を含んだダークヒーローものとしてだけ捉えようとすると、どうしてもVのキャラ的な背景(最後には、誰しもがVなんだということになってしまうし)やアクション性の薄さに物足りなさを感じてしまうのかもしれないけど、敢えてガイ・フォークス・デイの歴史的な説明から映画をはじめたり、弾圧や恐怖政治の歴史を同性愛者の女優の生涯と重ねて描写するあたりを丁寧にやったり、ある種のデカダンスとも思えるような芸術や文化への偏愛を何度も何度も出してくるあたりにも、大衆向け作品として見たら無駄で冗長なところかもしれないのに「これを削るわけにはいかない」という強い意志みたいなものも感じるし。脈々と息づく厳格さや歴史の重みがあって、だからこそときとして爆発的なカウンターが生まれるのだという、“自由の国”に生きるマイノリティーからみた一種の羨望のようなものも混じっているのかな。

いくら悪辣なことが平気で行われ、ファシスト的権力者が恐怖で支配するような政府だったとしても、爆弾テロと電波ジャックで人民を扇動して国を転覆させようということをクライマックスに持ってきた映画って、よくよく考えるとすごいよね。
で、実際にロンドンでテロが起きたりもしているわけだし、もとからサーベイランスのカメラも世界一というほど多い街で、地下鉄の監視体制は昨年の爆弾テロ以降空港並みにしようという議論もあるんだって。

政府の非人道的実験でモンスターが偶然誕生してしまうという部分は『MONSTER』に、ウィルスをばらまいて大量の犠牲者を出してから救いの手を差し伸べるという自作自演で狂った為政者が強大な権力の座につくというのは『20世紀少年』と不思議な符合をしていて、なんだか見ていて少し震えてきた。まぁそれは単なる偶然と思うけど、原作の要素をかなり換骨奪胎したというわりには過去の名作などからの引用をむちゃくちゃ使うというセリフがやたらに長く多く難解になる原因となった部分は活かしていて、これはもしかしたら『イノセンス』への返答?という気もした。意識したにせよ、しないにせよ、ネットに接続して拾ってきたという押井のしかけよりも、禁制品のコレクターである謎の仮面男と父が文学者だった薄幸の乙女が互いの共通項としてそういう引用に吸い寄せられるというほうが、個人的にはグッと来るけどね。

まぁ、なんだかんだいろいろと思うところはあったんだけど、大画面に広がる巨大なVのマークのドミノのシーン以降約20分はホントに圧巻なんで、難しいのはどうも…というひとにもぜひ観に行ってほしい。その部分を見るだけでも十分元が取れる。まさかあそこまで華麗なビッグベンの爆破(実際にミニチュア作って爆破したそうです)が見られるとも思ってなかったし。もちろん、英語がしっかり聞き取れるのであれば、全編に渡って敷き詰められた、Vのいちいちきざったらしくカッコイイセリフの数々に酔いしれることも可能。

六本木まで観に行ったら、観客がおおむねこの世界を堪能できるくらいのオトナばかりだったようで、隣の席からも「ひさびさに映画らしい映画を観た」なんて声が聞こえてきて嬉しかった。やっぱり、こういう壮絶な映画を観て脱力してしまって余韻に浸ってるときに、的外れな文句とか、全然意味わかんなかったとか話してるのを聞かされるのって苦痛だからねぇ。


あ、そうだ「ダンスのない革命なんて」って言ってたね。
あれは良かった。

Vフォー・ヴェンデッタ 特別版
Vフォー・ヴェンデッタ 特別版