ようやく『時をかける少女』に遭う

細田守監督は、結局途中で帰られたので挨拶もできなかったのだが、話せるかもと思って先日慌ててもうすぐテアトル新宿では朝イチの回だけになってしまう『時をかける少女』を観に行っていたのだった。もう二ヶ月近くのロングラン、平日の昼というのに8割方埋まってるというのはすげぇと思った。正直、映画自体は期待が大きすぎたか、感情移入が難しい局面やアクビが出てしまう時間帯もあり、ラスト20分でグンと引き込まれたんだけど、こういう主題、キャラにはついていけないなと思ってる自分もいて、ちょっとつらい。それでも、昨今のとにかく「泣ける」って言っときゃいいだろ的な日本の実写映画よりは全然リアルを感じるんだけどね。
でもさ、コレが『ゲド戦記』より売れるべきだとかっていう話はよくわからねぇな。そんな一般性を持ちうる作りだとは思えないし。あれだけ売れた『踊る大捜査線』とか、あの手のものですらほとんど若者しか劇場に行ってなくて興行収入の数字に比べて誰もが観てる国民的映画には到底なってないわけでしょう。『ゲド』に関しては観てないからなんとも言えないけど、年に一回しか劇場に行かないようなひとたちが、今の10倍宣伝に予算を費やしても『時かけ』をチョイスするわけはないというね。
もちろん多くの冷静な評が示すように『ゲド』がそんな位置に到達するポテンシャルを持ってるのかということは疑問だし、逆に、今朝もテレビでおすぎが『ゲド』のことをけちょんけちょんに貶しあまつさえ観客まで見下したような暴言を吐いてたが、ああいう徹底的に目の敵にしようという意志が働くのもよくわからない(顔の見えないマス、みたいな部分からの声も含め)。
ろくでもないモノがなぜか売れていて許せない、みたいな気分はわからなくもないが、厚化粧や宣伝の強引な力だけで売り抜けようとしてもモノがクソなら最終的にはクソほどの扱いに落ち着くというケースの方が圧倒的に多いと思うんだけど、実際のところ。