ガールパワー炸裂の『さくらん』は否定する気満々で見るといいかも

アスミックエースのちょっと仕掛けっぽい作りの作品では、例えば松尾スズキの『恋の門』とか宮藤官九郎の『真夜中の弥次さん喜多さん』とか、異ジャンルで成功した作家に監督をやらせて、期待値はかなり高くて作品の勢いもあったけどちょっとやりすぎちゃった?というようなできのものがすぐ思い出される。今回、安野モヨコの原作を蜷川実花土屋アンナ主演・椎名林檎音楽で撮るという話を最初に聞いたときも、うわ、それっすっげ〜組み合わせ、超みてぇえ!と思ったものの、すぐに「あれ、でもこれって名前と組み合わせがもたらす想像に現実が追いつけないパターンでは…」と不安になったりしたものだ。
田嶋センセーとか風に言わずとも、こうやって女子がばんばん仕事して才能あるとか言われてなおかつそれがそんなに血反吐はいて勝ち取ったモノじゃないように見えてしまうとものすごいバッシングという名のやっかみ攻撃に晒されてしまうじゃない。まぁなんと世の中は女性というだけで生きづらいのかねぇと頭の中では思っても、じゃあ自分はどーなんよというともう四十にもなるおっさんの気持ちなど保守的にならざるをえないわけで、そーするといつのまにか試写室の心地よいシートで幕が開くのを待ってる僕も「きっとコレはとてつもない失敗作に仕上がってしまっていて、でもそれを誰も言い出せなくて異様な雰囲気のままなんとなく盛り上げよう的な作り笑いを浮かべる映画なのでは……?」などと妄想していた。
いや、実はそれどころか、写真家の面目躍如な明暗の表現だとかずっと視界を支配する赤の力強さといったヴィジュアルの強烈さに慣れてきた中盤には、再度「う、なんかだれてきたか……」といたたまれない気持ちになっており、まさかそれがドカンと逆転されるとは思ってもいなかった。プロダクション・ノートを読むと、助監督の発案でほぼ順撮り(物語の頭から順番に撮影していく)で進めたらしいのだが、それが功を奏したのか、ストーリー上人間としても遊女としても成長していくきよ葉(土屋アンナ)がとても魅力的になっていく。基本的に素に近い演技しかしてない土屋に対し、日本でも屈指の演技派や個性派がたくさん脇で絡んできて、特に激烈な印象を残す夏木マリ石橋蓮司の遊女屋オーナー夫婦や、客として登場する椎名桔平遠藤憲一、さらに歌舞伎の市川左團次がすばらしく効いていて、土屋の輝きをグングンと増していく。
直接絡むわけではないけども、きよ葉少女時代の回想部分に姐さん花魁として登場する菅野美穂もいい。あのヌード写真集後、吹っ切れたようにいい顔になって本業でもバラエティー的な場面でも自分を出せるようになった菅野ちゃんが、ごっつい濡れ場をやってる。ヌメヌメしたようなエロではなくやはりそこは女性の撮る画なんだと思ったけど、後半で土屋アンナにもまったく同じようなシーケンスで濡れ場があってね、このふたりともファンである自分はやっぱりドキドキしてしまったよ。なんというか、彼女と観に行ったらちょっと気まずくなったかもなというくらいには。

唯一最後までどこかフラストレーション的なものを感じたのは、単なる曲提供でなく音楽監督として関わったという椎名林檎の音楽。ちょっとあちこちで歌声が使われすぎて印象がぼやけてしまったように感じたし、シーンと曲のあわせかたが「?」という部分もあった。すごく緊張感がありつつ広がりのあるひとつの見せ場のシーンで、ギターがぎゃんぎゃんいってて意外性はあるんだけど声が奥まった密室っぽいエフェクト処理されてる曲を使ってたり、バスッと切り替えてくれれば気持ちいい部分でズルズルとフェードで音が消えていったりとか。まぁ、そんなの趣味のレベルかもしれないが、いい曲を作るというのと、それを効果的に聴かせるというのはまた別の才能なのだろうなと思ったりもした。たぶん、いろんな局面で比較されるだろうソフィア・コッポラの『マリー・アントワネット』に唯一負けてる部分があるとすれば、たぶんそこだろうなと。

さくらん
さくらん