目が覚めるとそこは…

毎日毎日過去のメールやアドレス帳をひっくり返す。やり直しのきくイベントじゃあないんだから、とりあえずフロアでの笑顔が思い出せるひとと、ちょっとでも世話になったひとには全員声をかけておかないと!って気張っていた。結局、今思い返せば、あ〜あのひとも、このひとも呼ばなかったぁああうわわわ!ってなってるので、いくらがんばっても無駄だったのかもしれん。
主体性を固持するどころか途中自分ではどうしていいかわからなくなったりしつつも、ある雑談の合間にかつてよく一緒に遊んでいた歳下の連中にいろんな思い入れを聞かされて、あ〜パーティってホストが頑張ればいいってもんじゃなかったわ、お客さんあってのものだわと気づかされたことで楽になっていったのだろう。
思いのほか感情を溜め込んでしまうこともなかったし、だから当日になってブワッとそれが溢れてくるようなこともなく、ひとによって違う角度や強さで投げ込んでくる思い出の球をきちんとひとつひとつ求められた方向へ打ち返すようにしていくことができたのかなとも思う。

最初、総まとめだとかするコト自体があまりにかっこ悪すぎるんじゃないかと思ってた。CDの選曲が難航してたときも、某アーティストに愛憎入り交じった苦言を呈されて、一方ではいや俺が責任とるから的なことを口走って腹括った部分もあり、でも一方では結構凹んでしまったり。途中、紆余曲折がたくさんあった。そんなあらゆることを乗り越えて、ようやくこの日を迎えられ…いや、それどころか本来こっちが頭下げなきゃならないお客さんとか友だちとかかつての仲間とか、あらゆるひとたちに「ありがとう」なんて言われてしまってなぁ。もう、これ以上の幕引きは望めないぞと天の声が聞こえてきたような気がしたくらいのできごとだった。

土曜の昼に家に帰って、興奮はまだすこし続いていたけど床にはいると連日の疲労からあっという間に眠りに落ちて、週末はほとんど眠ってばかりいた。半年がかりのプロジェクトが終わったことで、気が抜けてしまったこともあるのかもしれない。翌日以降、周りからさらに寄せられるメッセージとか日記を読んで、決着をつけようとしていたのは環境とかレーベルの存在とかアーティストのためとか、そういう大義名分じゃなくて、結局自分自身の気持ちとかあり方に対してだったんじゃないのかなぁと改めて思ってしまった。

すでにここまで抽象的に感傷を綴ってしまったわけだけど、今朝はまったく新しい朝なんだと思ったし、ここからはじめの一歩がスタートするのだと心に刻んでおこう。昨日の、Mixroofficeのあまりに唐突でぶっきらぼうででも愛に溢れた24時間のラストランへのスタンスを見習って、オフィシャルにあーだこーだと思い出を炙りだすような記述はやめておく。
すでにあの場にいたうち少なくないひとたちが、それぞれの言葉で記憶を形にとどめようとしてくれているからだ。

ただ、やっぱりもう一度だけ、あの場に来れなかったひとと、早く帰ってしまったひとに対して言わせてほしい。
どうもありがとう。これからもよろしく。