トウサク マヤク ニンゲンシッカク

もはや2ちゃんねるは圧力団体ですな…。

過日、ニュースでも多数報じられていた“盗作疑惑で末次由紀という少女マンガ家の作品がすべて回収・絶版”という件、竹熊健太郎氏が漫画界のご意見番として自身のブログにコメントを出してかなり議論がヒートアップ中。しかし、オレンジレンジにしろ、こうやってパクリパクリと作家の独自性・創造性を過度に神聖視したような騒ぎが絶えないのは、どういうことなんだろう。完璧なオリジナルなんて、存在しないんだってば!

最初、新聞記事を読んだときは、うわぁ講談社キッツーと思った。いくらなんでも当該作品だけじゃなく、過去の作品も絶版、さらに連載も打ち切りって死刑宣告に近い仕打ち。盗用元として「スラムダンク」があがってるのがその過剰反応とも取れる判断につながったのだろうか。井上雄彦といえば、現在「バガボンド」で講談社の稼ぎ頭の筆頭だけれども、「スラムダンク」は集英社。ライバル社も巻き込んで大事になって、井上センセイを怒らせたりしたら大変なことに…っていう経営判断が下された可能性。それとも、たけくまメモのコメントで指摘しているひとがいるように、作家自らがショックのあまり全作品の絶版を強固に主張した結果、こういうことになったのだろうか。

どっちの可能性にしても、2ちゃん発の吊し上げリンチによってひとりの作家が筆を折ることになってしまったのは間違いない。講談社が、編集者の共犯者的側面や発行元としての管理責任をまったく棚上げしたまま作家だけを切り捨てることで事件を収束させようとしたんだとしたら、ついこの間のエイベックスのゴタゴタがその判断に影響しているだろうし、自分のサイトに掲示板を持っていたばかりにつぎつぎ押し寄せる心ない攻撃に直接対峙しなくてはならなかった末次が、疲弊と絶望の果てにそのような極端な決断に至ったというのも想像に難くない。

パクリを指摘するゲームは、確かにおもしろい。特にパクった側が杜撰で巨大で権威があって絶対に非を認めそうもない相手であれば、余計に。でも、そのゲームって「言ったモン勝ち」っていうルールじゃなかったっけ? しかもやられた側への愛あればこそ、こんな下品なことやりやがってと指摘したときに笑いが取れるわけで、最初から勝者の決まってる争いにただ汚いヤジを飛ばす目的で観客席に殺到するなんてものじゃなかったと思うんだけど。お互い接点のない二者を勝手に土俵に上げるゲームで、集まった観客が裁きを下してボコボコにするところまで行っちゃったら、それは数的優位と倫理的正しさを笠に着た集団暴行だ。指さして蔑んでいた行為よりさらに下品で目的を見失っている。
だってそれは、マンガの中の性描写を問題にしてすべてのマンガのコマ数に占める裸の割合を内容に関係なく計算して有害指定した件だとか、カリカチュア化された絵柄だけを論点に黒人差別を助長するとして手塚治虫の「ジャングル大帝」が一時絶版に追い込まれた件などを想起させられないか?

音楽業界の場合、違法薬物で逮捕されたりすると、あっというまに同じように作品の回収・絶版の処分が下る。倫理的に考えたら「ダメ、絶対」なことをやってた人間に儲けさせるのはどうかって批判も多いだろうし、まぁ企業としては仕方ない選択かなとも思うんだが、海外でのそういう例を聞いたことがない。それこそ、先日ボーイ・ジョージがコカインで逮捕されたからってカルチャー・クラブのCDが買えなくなるなんてことはないし、日本のレコード会社も何事もなかったように作品を売り続ける。ポール・マッカートニーからオアシスまで違法薬物事犯にからんだ作品を全部発禁にしてたら、すごいことになっちゃうだろうけども。まぁ、西洋では比較的麻薬に対して寛容という風潮があるにしても、きっと本人の人格・行動と作品は別という考えが一般的なんだろう。
日本では逆に、そのアーティストのファンまで「犯罪者の信者」的な侮蔑を受けてしまうケースも多い(中島らもとか勝新太郎とか例外もあるが)。人間やめますかってくらいで、麻薬に手を出す=人間失格というのがこの国の一般的な倫理観だと考えると、レコード会社の対応は至極当然なのかもしれない。では、今回の講談社の決断を見ると、末次由紀人間失格に値するひどいことをしでかしたのだろうか。

芸能の世界での、こういった「出演自粛」とか「回収」みたいな事件への対応は、単なるポーズで、頭を丸めるみたいな下らない反省の意の表明となんら変わらない。結局、商売になるひとならば、ほとぼりが冷めたらすぐに復活してしまうのだし。そういう簡単に逃げを打てるシステムに乗っかってしまうこと。もっと言えば、そのシステムに取り込まれてしまうこと。それって、結局は密告社会を助長して、物事の本質はうやむやにしたまま大きな組織が管理しやすい世界を受け入れる事態につながっていく。

監督が封切り直前に覚醒剤で逮捕されて上映中止が噂された映画「空中庭園」は、規模縮小ながらも無事公開された。日々、主演の小泉今日子がテレビで宣伝のために笑顔を振りまいているんだが、その健気な姿を見ている方が、一過性の報道で風化するよりよっぽど毎日事件のことを思い出す。映画自体はまだ観てないけれど、「作品に罪はない」というアスミックのこの判断が、とにかく臭い物には蓋的なこの国の問題対処の仕方に何らかの影響を与えてくれるだろうか。